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Friday, December 23, 2011

Reviewing the Year of 2011

2011年を振り返ってみて今年は、印象に残る舞台公演など大変に恵まれた一年でした。

4月には、初めてカーネギー・ワイルリサイタルホールの舞台で主役の「はな」役で舞踊を演じさせて頂きました。

昨年10月、NY市内にお住まいの作曲家斎藤リヨさんより「禅」と題する自作の曲に沖縄古典風の創作舞踊を手がけてほしいとの依頼をいただきました。ピアノとバイオリン演奏による禅の曲は、とても美しく、創作を引き受けさせていただこうと考えたのでした。

その後、創作の仕事を引き受けてもよろしいでしょうかと能松会主に相談をしてみたところ、先生は寛大な心をお持ちの方で、一言で、「やっていいですよ」と返事をしてくださいました。

マダムバタフライとういうオペラ歌劇の中で、主役の「はな」役に抜擢してくださった斉藤さん、そして創作の仕事を了承してくださった能松先生には、感謝でいっぱいです。

カーネギーホール公演では、世界の舞台で活躍されているオペラ歌手、ピアニスト、バイオリニストなど、一流の西洋音楽家に混じっての演舞は、たった6分間とはいえども、わたしにとっては、一生に一度あるかないかのご縁だというように思えます。

さて、恒例のイベントとしては、2009年から招待して頂いています、クイーンズの図書館での90分間沖縄芸能に関するレクチャーは、例年通り6月から8月にかけて3箇所の図書館のブランチで開催させて頂きました。

4月の花見公演は、今年もコネチカット州フェアーフィールド・カウンティーの日本人協会会長坂牧さんのご招待により沖縄舞踊雑おどりと三線民謡歌を披露、また震災義援金集めなども協力させて頂きました。

新しい活動としては、9月にニューメキシコ州アルバカーキーのステイト・フェアーに参加させて頂きました。能松会ニューメキシコ支部担当の早苗先生やご主人のボブさんには大変にお世話になりました。他州からジョイントした能松会のメンバーの方々、アルバカーキの、うちなーんちゅの方々ともお会いする機会が持て久しぶりのうちなーぐちでの会話は、おもわず里帰りしたかのような肝心温まるパーフォーマンス・ツアーでした。

それから、11月よりレゾボックス・アート・ギャラリーで、教室をオープンさせていただいています。ギャラリー責任者田代さん、プログラム担当の池澤さんは、日本文化普及に関心を持たれ沖縄文化普及活動にも協力してくださり大変に嬉しく思っています。

いろいろな方々にお世話になりつつ、一歩前進できた年だったように思います。

来る年が皆様にとってよき年となりますよう心よりお祈り申しあげます。

Monday, December 19, 2011

A famous Okinawan Play Performer Mr. Kochu Makishi has passed away

I grew up in Yomitan village and used to go out to see Okinawan Theater plays (Uchina Shibai in Okinawan dialect). Okinawan Shibai became a huge hit in commercially in the late 19th century. My uncle Y. Kamiya was a Shibai actor, which is why I used to watch many theater plays via TV and the theater groups called Mura Shibai (村芝居)that came to my village 。

One of greatest Theater actors, his name was Kochu Makishi, passed away last week; he was 88 years old. I have never forgotten his appearance on the stage. I probably went to see theater plays because of his appearance; I wanted to see his handsome face. I was probably 8-10 years old when he was at the peak of his career as an actor. My grandmother used to ask me, "why you go to see Shibai evey time they are playing theaters near us? You won't remember their stories forever, you know," but I didn't care about that, and rushed to the theaters anyway to see Kochu Makishi's play. I was too young to understand the story, but I was big fan of Kochu Makishi. I may not remember any of the stories, but I will never forget Mr. Makishi's handsome charanctors.

He was a member of Sango Za, which included 6 highly-skilled full Kumiodori actors and dancers including Nozo Miyagi, the ground master of the Miyagi Ryu School.

There is a saying that "Nothing will last the same way forever." However, I hope that Okinawan Shibai and Hogen (dialect) will last forever. Mr. Makishi once said about Okinawan Shibai, "unless actors understand the dialect, his or her acting will be souless, and this kind of souless acting will disappear some day." What a powerful comment, I totally agree with his comments.

Nowadays, many dancers and actors trying to manipulate audiences by imitating the Okinawan performing arts all over the world. The truth is, I am not so impressed by those imitating our performing arts, and neither are audiences. Soulless performances can't last long.  He left a message saying "do not forget your own language" and passed away.

Mr. Makishi was devoted to performing in Okinawan plays, according to the article. He was designated as important intangible cultural Asset of Okinawa Prefecture as a Kumiodori member.  He also taught Okinawa Shibai and Okinawan dialect at the University of Ryukyu.

Learning the Okinawan dialect is so important to me as an Okinawan traditonal dancer. Let's try to learn Okinawan dialect from now on.

Here is a copy of the article on Kochu Makishi from the Okinawan newspaper Ryukyu Shimpo:


2011年12月19日 09時24分
 沖縄演劇界の重鎮で、国の重要無形文化財「組踊」保持者の真喜志康忠さんが亡くなった。戦前戦後を通して芝居に情熱を注ぎ、役者一筋を貫いた生涯だった。
 「戦前からのウチナー芝居を進化させた」「芝居のために生きた人だった」―その役者魂に触れた多くの芸能・文化関係者が、「巨星」の死を悼んだ。
 康忠さんは生前、沖縄芝居の根幹をなすウチナーグチの衰退に危機感を抱いていた。「言葉を忘れた芸能は形骸である。形骸には魂がない。魂のない芸能はいずれ滅ぶであろう」と本紙の連載で指摘している。
 康忠さんが芝居の世界に入ったのは、数え年9歳の時だ。役者見習いとして、劇団珊瑚(さんご)座に入団した。小学校卒業と同時に、住み込み座員となる。一時、真楽座などで活躍し、戦後の1949年、自身の劇団「ときわ座」を旗揚げする。
 戦火で灰じんに帰し、娯楽に乏しかった沖縄で、沖縄芝居は大衆の人気を得た。戦後、雨後の筍(たけのこ)のように各地に劇団が設立された。康忠さんは、大伸座の大宜見小太郎さんとともに人気の双璧をなした。軽妙洒脱(しゃだつ)な芸が持ち味の小太郎さんに対し、康忠さんは剛毅な演技が魅力だった。
 琉球処分を題材にした「首里城明渡し」(山里永吉作、30年初演)が戦後上演された際、康忠さんは親中国派の亀川親方、小太郎さんが親日派の宜湾親方を演じた。時勢にあらがって琉球処分への抵抗を試みる亀川親方の役は、康忠さんのはまり役と評価され、多くの人に感銘を与えた。
 芝居の道に入り、下積み時代、まず担ったのは「幕頭(マクガミー)」と呼ばれる幕引きの仕事だった。
 一見、簡単そうだが、余韻を残して静かに幕を引く場面もあれば、立ち回りが終わりさっと幕を引く場面もある。「芝居の幕は、単に客席と舞台を区切るだけのものでなく、芝居の出来・不出来に直接関係する」とこだわった。
 幕引きをしながらたくさんの芝居を覚え、その後も先輩たちの芸を徹底して観察した。観察眼を身に付け、稽古を重ねることで、芸を身に付けていった。
 芝居への情熱は、国内外の文学作品を素材に新作を精力的に発表し、後進の育成にも力を注いだことからもうかがえる。復帰前後は、組踊立方としても活躍。80年代は、作家の大城立裕さんや演出家の幸喜良秀さんらと沖縄芝居実験劇場の役者として、新しい時代の沖縄芝居に挑んだ。
 まさに「演劇の鬼」である。
 晩年も、芝居への情熱は衰えることはなかった。
 90年から2002年まで琉球大学で講義を担当し、口立てで伝えられてきた沖縄芝居の脚本のテキスト化に、学生たちとともに取り組んだ。その数70作品余り。近代以降の激動の歴史の中で、庶民に親しまれてきた沖縄芝居の貴重な資料だ。
 舞台を通して人々を楽しませ、慰め、力づけてきた康忠さんは、最後までウチナーグチにこだわり続け、自分たちの言葉を忘れるな、というメッセージを残して、逝った。

Sunday, December 11, 2011

Report on Lecture of Okinawan Performing Arts

I offered a lecture on Okinawan Performing Arts to students of CUNY. The lecture was held at Resobox studio and 17 students and a professor at the college joined my lecture. I also demonstrated dance and Sanshin performance as well as offering dance workshop and Sanshin workshop at the lecture.
My dance student and Sanshin performer Ms. Nagano handled the Sanshin workshop. Three students tried the Sanshin workshop and they all mastered a simple tune and performed after only a 20-minute trial lesson. It is amazing to see how those students could master the music in such a short time, even though it was the first time any of the three students ever played the Sanshin instrument.
Here are some pictures from yesterday's lecture.

昨晩、レゾボックス・アート・ギャラリーにて、初回のレクチャーを開催しました。
わたしのレクチャーは、琉球伝統芸能の歴史、沖縄方言、舞踊と三線歌の実演そして舞踊と三線のワークショップなど、沖縄文化に関する総括的なプログラム内容です。




Thursday, December 1, 2011

New Bags

Happy December !
I would like to introduce pictures of bags which I created last week. Please enjoy them.
To order my bags, please visit website http://www.junkofisher.com/.


Cotton Cherry Blossom

Chinese character gold brocade 

Blue Chirimen fabric with purple chirimen border

Ryukyu Bingata fabric & Obi

This little kimono is not for sale.

I will list this bag in my website soon!


I will list this bag to my website soon!
I braided the same fabric to form the handles.
The flat bags can be used big clutch holding in half.  
I also can make tote with the flat bag. Amazing bag!

Ryukyu Shimpo Artilce

I would like to inform an article in Ryukyu Shimpo, one of the major newspapers in Okinawa.
The story is about a music recital hosted by me held on October 16th.

【アメリカ】沖縄の島 歌で紹介 ニューヨークで音楽会2011年11月28日  このエントリーを含む delicious  Yahoo!ブックマークに登録
リサイタルを終えた(後列左から)久保順さん、東間ゆりさん、(前列左から)長野智佳さん、長浜順子さん=ニューヨーク・クイーンズ地区
 静かな琉球民謡ブームが起きているニューヨーク・クイーンズ地区で、このほど読谷村出身で宮城流能松会所属の長浜順子フィッシャーさんら女性3人による「日本と沖縄の音楽会」が開かれた。琉球芸能指導者が数少ないアメリカ東部方面で、順子さんは指導と普及に懸命だ。
 順子さんは、今回の音楽会を「島々の歌」とテーマを決め、宮古の方言(宮古ぐち)、八重山の方言(やいまくとうば)、沖縄本島の方言(うちなーぐち)とともにそれぞれの島の文化を紹介し、ソロの三線と唄で、「多良間しょんがね」、「ついんだら節」を披露した。
 古典三線演奏は野村流優秀賞受賞で、神奈川出身の長野智佳さんが仲風節、月ぬ美しゃ、安里ーやをソロで、笛とフルートを久保順さん(ジュリアード音楽大卒、現在ニューヨークコンサバトリー音大にてフルート講師)が、砂山、夕焼け小焼けをフルートで演奏した。
 後半は、3人によるコラボレーションとして長野さんと順子さんの三線共演で、国頭ジントーヨ、パラダイスうるま島を披露。フィナーレは、てぃんさぐぬ花(長野の三線、久保の笛、長浜の歌)で締めた。東日本大震災の被害に遭われた方々を慰める歌として、順子さんは「故郷」を選曲し、久保さんのフルート演奏にのせて、観客も交えて合唱した。歌っている最中、ある日本人の男性が、客席で目頭を押さえる姿も見られた。
 司会はボストン在住で、母が沖縄出身(母親もボストン在住)沖縄2世の東間ゆりさんが担当。車で片道4時間かけて司会のために、ニューヨークまで足を運んだ。
 順子さんは「古典と民謡を上手に歌えて演奏できる人は、ニューヨークでは極めて少なく、民謡系の人が圧倒的に多い。私自身、今回のプログラム開催に関しては大変満足している」と感想を述べた。
(当銘貞夫通信員)