Saturday, July 9, 2011

Stage Costume Ryukyu Bingata Robe

I have several Bingata robes for dance purposes and am going to change the size of a Bingata costume which my sister gave me many years ago after she decided not to continue her dance career. The Bingata costume was originally made for her body size and I have to change to my size,  by which I mean I have to widen the kimono few inches. Speaking of Bingata, there are basically 7 different colors worn as costume of woman's classical dance; for example, yellow, red, pink, puple, light blue, dark blue, gray and white-based Bingata, though there are 200 examples of different bingata and eigata (indigo bngata) having been used as dance costumes.

Bingata is a traditional dying technique that originated in Okinawa Prefecture, where it's called Ryukyu Bingata. Up to the 18th century, the Ryukyu Kingdom possessed its own  unique culture. The contributions  of Southeast Asia and China to this cutlure are especially prominent in the bold and vivid colors and designs of Ryukyu Bingata stencil dying, which differe distinctly from traditional Japanese dying on the main island of Japan. During the Ryukyu Kingdom era, in the 15th centurym various dying techniques were brought to the Ryukyu Islands through trade with China and Southeast Asia. Subsequently, these techniques developed their own distinctive characteristics in the climate and culture of Okinawa. Today I have borrowed pictures of a kimono listed in the book called Ryukyu-Bingata Traditional Clothes of Okinawa (written in Japanese) published by Seigensha below.
This particular Bingata Robe was worn as formal dress by the Royal family during the Ryukyu Kingdom's Sho Dynasty. Today, these patterns are worn as stage costume only, or are displayed in museums.

こちらの紅型衣装写真は、琉球紅型の本よりコピーさせていただきました。黄色の紅型はもっとも高貴な衣装として宮廷で着られたようです。

数枚ある舞台用紅型衣装で、一枚妹から譲ってもらった紅型衣装を、まず妹の体のサイズに合わせて縫ってあり、私には小さいので自分で縫い変えをするため、昨日、舞台衣装製作に詳しい日本舞踊家の大西先生にお会いして縫い方を教わってきました。普段、西陣のハンドバックをデザインして縫っている私ですが、舞台衣装ともなれば自分で縫うには気がひけてしまいます。紅型衣装縫いのついでに、今日は、紅型についての歴史的な説明を加えてみたいと思います。
琉球紅型ー日本語版(青幻舎出版)から説明文を借用させていただきます。

紅型の話ー沖縄県教育長文化施設建設室主任専門員与那嶺一子さんの文より

「紅型」とは、どのような染ものであるか、技術や技法はここに至るまで長い歴史を持ち必ずしも一つの矢印で語れるものではない。多くの地からの往き来、あるいは逆戻りなど複雑な過程を経ているものである。昭和48年、沖縄県が無形文化財として指定した「びん型」の用件には型染又は筒引きによる手工芸品である用件が明記されている。また伝統的工芸品「琉球びんがた」(昭和59年)では、「突彫による型紙を使用し、のりによる型付け(筒引き)、又は(糊伏せ)による防染を行い彩色する」ことが指定条件になている。

ではこのような紅型は、沖縄でいつから始まったのか、これまでの研究で統一された見解は唯一、沖縄から発生した染物ではないという事である。それは、沖縄がかつて琉球と呼ばれ一つの王国を形成するさらに以前から、中国大陸、東南アジア、大和(日本)との交流、交易があり、それらの国々には既に防染による模様染物が存在していた。沖縄では染織に限らず、陶芸、漆芸などほかの工芸もまた近隣諸国から導入され、沖縄の風土に合わせて作られてきた。

紅型の模様は、大和系統と中国系統の二つに分かれ、その殆どは大和系統である。沖縄の自然の姿が模様として紅型に表れるようになるのは戦後の事である。型紙や図案を全て失い、廃墟からの再スタートは、沖縄としてのアイデンティティーを求める動きと一つとなる。ここで初めて紅型は沖縄らしさを意識し、その姿を沖縄に求めていったのである。

紅型の型紙は、その彫り方によって3種類に分類される。地を彫り抜き模様と糸掛けで繋ぐ「白地型(ジルジ)」、地を彫り残す「染地型(ジミジャー)」、白地と染地部分は半分のものを半白地(ハンジルジ)」と呼ぶ。紅型衣装の模様構成には、一枚の型紙を繰り返し使うものと、数枚以上の型紙を使うものがある。数枚以上の型紙を使うものは、一般に絵羽付けと呼ばれ、その例は、尚家の紅型衣装(重要文化財)によくみられる。

紅型を使ったものは王家から平民まで幅広い。
もちろん、数枚の型紙や舶来の染材を使う紅型は平民にまで使われていたわけではない。身分が下るに従い、その模様や色には制限があり、王家が普段に着用し小柄の藍染めには平民にとって晴れ着であった。王家にとって、正装は中国渡りで紅型着であった。例としては少ないが神女としての衣装もある。また祭りや婚礼衣装であった紺地花織の裏地としての小紋紅型も平民が着用できる数少ない例であった。

サップーウーシ(冊封使)歓待のため創作された「組踊」の初演(1719年)には踊衣装として「五色の長衣」を着用しているが、それが織物か、縫いか、染かは定かではない。まして紅型なのかどうかもよくわからない。

沖縄はアジア大陸に添うように弓なりに連なる島々によって構成されている。周りを海に囲まれた島に生きるが故の沖縄の人々の解放性と閉鎖性は、沖縄の文化形成に大きな意味を持ってきた。紅型の概要を眺めてみると、染めや模様構成など各面で、厳密さもあれば合理性もあり、大和風でもあり中国風でもあり、その開放性と閉鎖性は例外なく紅型の内に現れている。

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